先日、「わたしが悩んだこと」というタイトルのブログを書きました。
そこには、悪口や否定的なきつい言葉をいう職員さんに対し、わたしが否定的な思いを抱いたこと、その結論として、「流すこと」「許すこと」が大切だという内容を書きました。
そのブログを読んでくださった方からのコメントを読んで、わたしは大切なことに気づかされました。
(この場を借りて、いつもありがとうございます(^^))
自分の正しさ
わたしは自分は正しくて、相手が間違っていると、無意識に思ってしまっていたのだと気づきました。
やさしさを大切にした自分は正しくて、悪口を言う相手は間違っているという思いを持っていたと思いました。
そのことに気づき、わたしは反省しました。
「誰が悪い、誰が間違っている」
何か、トラブルのようなことを起こしてしまった人に対し、つい、こんなことを思ってしまいがちですが、相手をそんな風に思ってしまうと、人を責める心になってしまいます。
そんな人を責める心は、発展するとトラブルや争いにまでなってしまいます。
否定的な心は、否定的な心を呼び起こします。
悪口を言ってしまう人がいたとしても、その人にはその人なりの思いがあるということ、
そこでそのことを否定するのではなく、その否定の循環を断ち切ることが本来は大切なことなのかもしれません。
それに、人を責めるということは、自分のことを責めることにもつながります。
そもそも「いい、悪い」とか、何ができるから「えらい、えらくない」とか、何をするから「正しい、正しくない」とか、そんなのはわたしにはきっと必要なくて、それよりも、もっと大事なことがあるのだろうと感じました。
正しさよりも大切なこと
同じ地球に、同じ日本に、同じ「今」を生きている人たち。
それぞれの場所が「特別」なのだと思いました。
その一つ一つある「特別」な場所を、ただその人が歩んでいるのだと。
わたしはきっと、必死になっていたのだろうなと思います。
自分の居場所に自信を持ちたくて、自分がいる場所は価値があるんだって思いたくて、自分の場所は正しいんだって思いたくて。
何か証拠が欲しくて、認めたくて、必死になっていたのだと思います。
でも、そんなものは必要ないのだろうと。
それぞれの場所が「特別」だったから。
あの人の場所も「特別」、
わたしの場所も「特別」、
みんなそれぞれの場所が「特別」でした。
「もともと特別なOnly One」
なんだろうと。
いろんな人がいる中で、いろんな思いがあって、いろんな生き方があるなと思います。
「何が大切か」って、本当に大切なものはあるのだろうけど、それはきっと簡単にはわからないこと。
だから、人を責める心、争いはあるのだろうと思います。
でも、一人でも多くの人たちが、自分の中にある「花」を咲かせることに意識を向けることができたなら、そういうものも減っていくのかもしれないなと思います。
上とか下とか関係なくて、何がいいとか悪いとかも関係なくて、
みんなが同じ「今」を生きている。
人と比べたり、競いあったりするよりも、
それぞれの場所を応援、ときに助け合いながら、自分のキレイな「花」を咲かせることに意識を向ける生き方ができたら、それぞれが素晴らしいんだって思い合えたら、幸せを感じる人たちが増えていくのかもしれないって。
今一度、自分を見つめ直していきたいなと感じました。
最後に、この記事を書きながら思い浮かんだ、
「世界に一つだけの花」の歌を貼り付けました。
よければ、聴いてみてくださいね(^-^)
では、最後まで読んでくださり、ありがとうございました。