先日、施設に入所していた祖母が89歳で天国へ旅立ちました。
祖母は、10年前から病気をきっかけに一人で生活がすることができず、施設へ入所していました。
施設入所以前から認知症が少しあったのですが、
入所後、徐々に認知症は進行したり、病気などで入退院をしたり、コロナによる面会制限もあり、2、3年前からあまり会話ができないようになりました。
でも声をかけるとうなずいてくれたり、返事をしてくれたりする祖母でした。
「もういつ亡くなるかわからない」と施設から、母に連絡が来ました。
面会に行くと、肩で呼吸をしていて、声かけに反応がなく、わたしはもう最期なんだと思いました。
祖母から見て、子供や孫、ひ孫たちが面会に行き、祖母のところへ集まりました。
母の妹、(おばさん)が祖母にずっとついてくれていて、
わたしたちが帰ったあと、目をぱっちり開き、ベッドの上で柵を持ったり、起きあがろうとしたり、酸素チューブを外したりと、すごい力が出てきたと連絡が来ました。
力が戻ったと連絡を受け、
翌日、面会に行くと、目を開き、少し返事をしてくれたり、うなずいたりしてくれ、また元の祖母になったと思いました。
わたしはみんなが集まったので、わたしたちのパワーが伝わったのかなと思いました。
でも、医師の判断で人生の終末期でもあるので、食べることは誤嚥をする可能性もあり、点滴のみで過ごすこととなりました。
それからも面会に行くと同じような調子で安心していました。
でも、最初の連絡を受けてから10日後、
また、この早朝から祖母の呼吸が荒くなったとおばさんから連絡が来ました。
仕事を午前中で終わらせてもらい、祖母のもとに行きました。
すると、前の時より呼吸が荒く、いつ呼吸が止まるかわからない、最期の呼吸をしていました。
最期の時間
「おばあちゃん」
声をかけても、手を握っても、もう手足も動かすこともなく、祖母はしんどそうに呼吸をし、頑張っていました。
もう、いつ呼吸が止まってもおかしくないと思いました。
祖母の様子を、みんなで見守りました。
祖母に対して、わたしは何をしてあげられるだろう。
祖母の手を握る母、
わたしは祖母の背中をさすりました。
だんだん祖母の呼吸が変化してきました。
無呼吸があったり、呼吸がだんだん小さくなっていきました。
心のなかで、
「おばあちゃん、ありがとうね」
と、なんども言いました。
そして、
本当に小さく呼吸をし、その後、
祖母は呼吸をしなくなりました。
そのまま、すーと眠るように。
手を握っていた母は、「眠ったん?」
と、祖母が眠りに落ちたと勘違いしていました。
わたしは「止まったよ」と言いました。
母は、少し驚き、祖母を呼びました。
そこには、静かに眠るように生命をまっとうした祖母がいました。
本当に静かに眠るように。
祖母の89年の人生に幕を閉じました。
最期の手紙
祖母に宛てた手紙を書いて、棺のなかに入れました。
生まれてはじめて書いた、最初で最後の祖母への手紙。
おばあちゃんは、読んでくれたかな。
わたしたちに、祖母と過ごす最期の時間を与えてくれました。
「おばあちゃん、本当にありがとうね」
感謝の思いを込めて、手紙にそう書きました。
「人生の終わり」は必ずみんなに訪れます。
「わたしはどう生きたいか。」
改めて考えさせられました。
赤ちゃんのときから、お世話になった祖母。
たくさんの笑顔が思い出されました。
そして、最期を通して、たくさんの大切なことを教えてくれました。
祖母から与えてもらった、目に見えない大切なこと。
それらを感じ、これからの生き方に活かしていきたいと思いました。
最後に、「いのち」のことを考えると思い浮かぶ、わたしの好きな曲です。
よければ聴いてみてくださいね(^-^)
では、最後まで読んでくださりありがとうございました。