みなさん、こんにちは(^^)
わたしは「場面緘黙症」という症状を抱えていましたが、今回は、克服した後での経験からの学びを少し書いてみたいなと思います。
まず、「場面緘黙症」というものを説明すると、
「場面緘黙症」とは
家庭ではごく普通に話すのに、幼稚園・保育園や学校などの社会的な状況で声を出したり話したりすることができない症状が続く状態を言います。
体が思うように動かせない緘動(かんどう)という状態になることもあります。
自分の意思で「話さない」わけではありません。「話せない」のです。これは誤解が多いポイントです。これまでは、「場面緘黙症は大人になれば治るもの」と考えられてきました。しかし、適切な支援なく学校生活を過ごした場合、長期にわたるストレス状況から、うつ的症状や不登校などの二次的な問題へとつながるケースも見られます。海外の資料によれば、たとえ発話ができるようになったとしても、成人後に社会不安障害などの不安障害に悩まされることも多く、早い時期からの適切な対処の重要性が強調されています。
出典:かんもくネット
こんな症状を抱えていました。
そして、説明にあるようにわたしも場面緘黙症克服後も状況によって不安が強くなり、「社会不安障害」になっているだろうなと思う時もありました。
場面緘黙症時代のことは、以前のブログで書いたことがあるので、ご興味がある方は見てくださると嬉しいです(^.^)
3歳から18歳まで、約15年間「場面緘黙症」とその中で「全緘黙症」という全ての場面において話ができない状態も4〜5年経験し、幼少期から学生時代に人との会話でのコミュニケーションを経験してこなかったので、やはりコミュニケーションに対しての、壁がありました。
わたしの場合は「伝える」ということに強く苦手意識を感じ、怖さを感じていました。
人とのコミュニケーションでは、話をすることが苦手な分、聞き役になることが多かったので相手が話好きな人となら問題なくコミュニケーションが取れていましたが、伝えるという場面になると、苦手意識が発動していました。(日常的な場面においてです)
そして紆余曲折を経て、今では看護の仕事をし、人とのコミュニケーションをほぼ誰とでも問題なくすることができるようになりました。
自分の気持ちを発話で伝える時に、なんて言ったらいいのかがわからない時もありますが、それも支障ともとらえないようになりました。
多分、大きなきっかけになったのは「自己受容」と「自己肯定感」を高められたからなのだろうと感じています。
そのきっかけ↓
ここからわたしは、徐々にいい方向にきたような気がします。
それまでのわたしは、自分のことが嫌いでした。
うまく伝えられなかったり、うまくいかないことがあると自分を強く責めていました。
でも、自己肯定感を高められたきっかけを機に、
「できなかった→自分はダメだ」
という思考サイクルから、
「できなかった→これも自分だ→
じゃあどうすればいいのだろう?どう考えればいいのだろう?」
といった思考サイクルに変わり、思考を言葉にする方法を見つけました。
そして、成長意識がとても高まり、徐々に自分らしく成長してきたのかなと思います。
わたしが思ったまず大事なことは、
「自分という存在の大切さを認識すること」
でした。
そこから「自分」というものをはじめて見つけ、自分らしさを大切にした生き方ができるようになりました。
そして、
「自分を受け入れること」
これも大事でした。
過去のわたしは自分を受け入れられず、否定ばかりしていました。
自分を否定するのではなくて、
いいところも悪いところも含めて、
「自分を受け入れること」
いいところも、悪いところもと書きましたが、
自分のいいと思っているところは、人や状況によればマイナスにもなりうるし、
自分の悪いと思っているところは、プラスにもなります。
プラスがあれば必ずマイナスがあるし、
マイナスがあれば必ずプラスが同時に存在しています。
でもマイナスなことでも、「こういうところもあるのが自分なんだ」と自分を受け入れ、許可してあげました。
何かの本に、
「自分を認めることができると、そこから自分らしく、前に進む術を見つけていける」
と書かれていました。
「自分」という存在を大切に思えるようになると、状況が本当に変わってきました。
いろんな情報や知識を取り入れたり、いろんな大切なことに気付けるようになりました。
人生はきっといつからでも変えられるのだろうと。
「自分を大切に、そして受け入れる」
わたしたちはそもそも自分のことが大切です。
それに気付けることがとても大切なのだろうと思います。
ではまた何かわたしの経験から得られた気づきを書いていきたいなと思います(^-^)
本日も読んでくださりありがとうございました。