Happy Life

自分らしく笑顔で前向きに過ごすための気づきや情報・日々の思いを書いていきます。

わたしの場面緘黙症時代〜学生生活〜

みなさん、こんにちは(^ ^)

 

このブログでも何度か書いているのですが、わたしは子供時代、場面緘黙症というものを抱えていました。

 

場面緘黙症の当事者の方の話をネットなどで見ていると、話せないことで学校でいじめや心ない言葉をかけられたりと、つらい思いをしている方たちがおられるようです。

 

今回は、わたしの学生生活のことを振り返って感じたことを書いてみようかなと思いました。

 

一人の経験者が書いた内容ですが、なにか誰かの参考になることがあればいいなと思いますし、ただ見てくださるだけでもうれしいです。

 

よければ、ご一読ください(^-^)

ある同級生の思いを聞いたこと

わたしが大人になり、場面緘黙症という過去を受け入れられるようになった今、わたしが勤務している職場に中学校時代の同級生(以下Aさん)が理学療法士として勤めていました。

 

以前のわたしは過去のことを話したくはなく、場面緘黙症時代の同級生にあっても避けてしまうこともあったのですが、今では過去を受け入れ、話せるようになったため、そのAさんにわたしの学生時代のことを聞いてみました。

 

すると、「ゆかちゃんは話せないって言っても、話しかけたら笑ってくれて全くコミュニケーションを取れないこともなかったし、みんな色んなことを抱えていたから、色んな子がいるなという感じだったよ」

 

と言われました。

 

そのAさん自身、当時のわたしは知らなかったのですが、骨の変形があり外からは見えなかったけど腰にコルセットをつけていたり、

また別の子は色素が薄くて茶髪であったためにそれを先生に注意され嫌な思いをしたり、

病気を抱えている子がいたり、

身体に障がいを抱えている子もいたりと、

「それぞれ色んなことを抱えていた」ということを話してくれました。

保育園〜中学校時代


「色んな子がいる」

 

わたしが子供時代を振り返ると、みんながみんなそんな考え方の人たちばかりではなかったですが、そんな個性を受け入れてくれる考え方の人たちが周りにいたのもあり、わたしは話せない学生時代をいじめられることもなく過ごすことができたのかもしれないなと思いました。

 

わたしが住んでいる地区の小学校卒業までは、そんなに人数も多くなかったので1学年が1クラスしかありませんでした。

大体、40人ぐらいで保育園から小学校は、エスカレーター式で同じ顔ぶれの子たちと過ごしてきました。

 

その中で、保育園からの同級生に身体に障がいを抱えている子がいました。

 

その子は車椅子生活で、自分で車椅子を動かすことができなかったし、何かをするのも必ず誰かの手助けが必要でした。

 

その子のお母さんも何度か学校に来て、その子の手助けをしにきていましたが、お母さんがいないときや移動の時は、その子の車椅子を押したり、段差はみんなで持ち上げたりしながら、わたしのクラスの中ではその子の手助けをすることが当たり前になっていたような気がします。

 

中学校からは他の地区の子が集まり、人数は一気に増え、クラス数も増えたのですが、その身体に障がいがある子も同じ中学に通っていました。

中学になるとクラスも離れ、わたし自身自分のことで精一杯で、その子がどんな学生生活を送っていたのかは覚えていませんが、中学校から一緒になったAさんがその子のことも話していたので、クラスの中の一人として過ごしていたんだろうなと思いました。

 

わたしは自分が話せなかったことで「特別だ」という思いを持っていましたが、Aさんの「みんなそれぞれ何かを抱えていた」という言葉を聞いて、「わたしだけが特別じゃなかったんだ」という思いと、その「特別」がわたしたちの普遍的なものとして一体化している感じがしました。

個性が当たり前という学び

わたしの小学校時代の周りには、身体に障がいを抱えている子がいたり、話せない子がいたり(わたしのことです)、算数がわかりにくい子もいたり、クラスの子たちは表面に見える形から「個性」というものを学んでいたのかもしれないなと思いました。

 

そしてそれを自然と受け入れ、その子が困っていたら助ける、できないことを助けるといった教育が自然とできていた環境だったのかもしれないと思います。

 

小学校時代、「みんなができるにはどうすればいいか?」を先生はよくわたしたちに問いかけていたような気がします。

 

その子ができることをその子の役割として、その役割も一人ひとりが重要な役割の一つとして持たせてもらえた記憶があります。

 

わたしは「みんなと同じことができない」と当時は劣等感を持っていましたが、みんながクラスのなかの一人として、一人ひとりを尊重してほしいという先生の思いが込められていたのかなと振り返って思います。

 

そしてわたしは「みんなと同じことができないことがあっても何か別の形でできることがある」ということを教えられていたような気がします。

 

また、なにかの役割を決める時、この子は話せないから、この子は身体に障がいがあるからなどの強調はせずとも、決めていたような気がします。

(わたしは注目されることを恐れていたので、そんな決め方をしてくれていたことはありがたいことでした)

 

当時を思い返すと、先生には本当に大切な事を教えていただき、理解していただいていたことがとてもありがたかったなと思いました。

 

そのなかでも嫌なことを言う子はいて、嫌な思いをしたことはありますが、それよりもわかってくれる子が周りにいたということがわたしには大きかった思います。

尊重する心を育む

表面的にみんなと違う部分があるとわかりやすいですが、見えない形で何かを抱えて学生生活を過ごしていた子もたくさんいたんだろうなと思います。

 

みんなと違うからと誰かを責めてしまう子ももしかしたら家庭で何かを抱えていたのかもしれないし、Aさんから聞いた「みんなそれぞれ色々抱えていた」と言ったことも、それを聞かなかったら他の子たちのことも知らないままだったなと思います。

 

それを思うと、本当に何もなく過ごしてきた人は少ないんじゃないかとも思います。

 

みんな何かしら、悩んだり、嫌な思いを抱えていたり。でも学校では「普通」に見えて過ごしていたのかなと思いました。

 

わたしはわたしで「自分は普通じゃない」と思ってつらい思いをしていましたが、他の子たちも「わたしだけこんな思いを抱えている」と思って生活している子たちもいたのかもしれないと思いました。

 

でも、そんな中でも「色んな人がいる」という考え方があることで、自分とは違うと思った人と出会った時にその人自身を非難するのではなく、その子もクラスの中の一人として認めることができるのかなと思います。

 

わたしの保育園から小学校時代は、わたしも含め、個性を持った子がいました。でも、小さい頃から自然と助け合い、みんなと同じことができないことがあっても、クラスの中の一人として受け入れられ、馴染めることができていたのかもしれないと思いました。

中学校に入って新しい人たちとも出会い、嫌な思いもたくさんしましたが、自分もつらい思いを抱えているし、「いろんな人がいる」という考え方の子がいたからこそ、わたしはその子たちに救われていたんだろうと思います。

特別なにかをしてくれるということではなく、

一緒にいてくれたこと、話しかけてくれたことがとても嬉しくて、ありがたかったと思います。

 

嫌なことを言う子はいても、わたしが「話せない」ということをわかってくれる子たちがいたことで、話すことを強要されることはありませんでした。

 

いじめや心ない言葉はその人のつらい思い出として残ってしまうと思います。

 

他の子と違うところを見つけて非難するより、「いろんな人がいて当たり前」という教えがあると、その子自身も学びになるし、当事者の子もつらい思いを少なくすることができるのだろうと思います。

 

いろんな人がいる中で、どうしても心ない言葉を言ってしまう子もいると思います。

でも、わかってくれる子がいることで、そこで救われることができるのかもしれないと思います。

 

何が大切かということは一概には言えないですが、一人でも多くの子どもたちが「違いを認められる」考え方を学ぶことで、人を尊重し、思いやりのある心を育み、自分らしく過ごせる人たちが増えていくのではないかと思いました。

 

個性を理解し、認め合えるような考え方を持った子どもたちが増えるといいなと思います(^-^)

 

そして、それぞれいろんなことを抱えている中の一つとして、「場面緘黙症」というものがあることと、その理解が広まるといいなと思います。

 

 

では長くなりましたが、最後まで読んでいただきありがとうございました。