Happy Life

自分らしく笑顔で前向きに過ごすための気づきや情報・日々の思いを書いていきます。

神様。

みなさん、こんにちは(^ ^)

 

今回は神様について書こうかなと思いました。

 

・・・突然ですが、みなさんは神様の存在を信じていますか?

 

 

「神様はいると思う。」

 

「神様?わからない。いるような、いないような。」

 

「神様なんていないよ。すべては自分自身の力だ。」

 

などなど、これらはわたしの周りの人たちが実際に言っている言葉ですが、このブログを読んでくださっているみなさんにもそれぞれの考えがあるのだろうなと思います。

 

一口に神様と言っても、神様の定義も明確ではなく、国や信仰しているものでも違い、色んな考えがあると思います。

 

今回も、いろんな情報、感覚から得たことを書いた記事になりますが、よければご一読ください(^ ^)

 

あと、非科学的な話になるのでご興味のない方は流してください(^-^;

 

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神様の存在

日本には多数の神社仏閣があり、昔から日本文化と深い関わりがあるようです。

 

みなさんも、神社仏閣へ参拝に行かれたことがあると思います。

 

神社では神様、仏閣では仏様になりますが、「神仏様はいるのですか?」の問いがあればわたしはいるのかなと思っています。(わたし自身は無宗教ですが、ここでは神様のことを書いていきます)

 

でも、その神様がどんな姿をされているのか、自分の目では見たことがないので、いろんな情報を見聞きした中で、ぼやっとですがイメージしたり、姿形はないけれど、なんとなくの感覚で神様の存在をイメージしています。

 

「神は自分の心の中にある」ということを聞いたことがあります。

また、「神は宇宙そのものだ」ということも聞いたことがあります。

 

この両方の言葉は、なんとなく「そうなのかな」と思っています。

 

神が宇宙ともなるとその意味は無限に広がりますが、「神が宇宙そのもの」と言われる理由の一つとしてですが、わたしなりの考えたことがありました。

 

それは、日本の神道は自然信仰が起源とされているというところから考えました。

 

現在、「神」と崇められているものに、岩であったり、山であったり、大木であったり、滝であったり、海であったりと自然にあるものがあります。

 

その自然に、何か「大きなエネルギー」を感じるからこそ、そこには「神様」が宿っていると言われたのだろうかと。

 

そして、その自然を作り上げたのは宇宙そのものです。

 

宇宙には「エネルギー」があります。

 

なにもない空間から、物質や生命体が作られました。

 

でもそこには、なにもなかったのではなく、素粒子というエネルギーの源があったから出来たのだと聞きました。

 

その源は、宇宙という空間を作り出した天から届けられたのだと言います。

その一つひとつが神なのだと。

 

それが「神は宇宙そのもの」と言われるようになったのだろうかと思いました。

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みなさんは神社でお願い事をしたことがあるでしょうか?

 

神社はお願い事をするところではないということを聞いたこともありますが、どんな人にでも心に願っていることがあると思います。

 

心に願っているのは自分自身です。

 

そうすると、神様に拝むということは自分自身に対して拝んでいるということになるのだろうか?と思いました。

 

自分の中にいる神様に。

 

神社に行き、手を合わせると、不思議と力をもらえる気がします。

 

それは「自分の心と自分の中にあるもう一つの力が反応しているから」というのも考えられるのかなと思いました。

 

人間は自覚できていない無意識の部分が90%以上を占めていると言われていたり、「火事場の馬鹿力」という言葉があるように、自分が感じている以上の無意識の力があるものだと思います。

 

それが言葉を変えれば、自分の中にいる「神様」の存在なのかなと。

 

人間は、『肉体・心・魂』の三位一体になっているそうです。

 

もしかしたら、自分の中の神様が「魂」にあたるのだろうかと。


「神様」の存在は、とても大きな存在にもなり、かと言えば身近なものにもなり、とらえ方によって多様に変化するものなのだろうと思いました。


見えないからこそ、その「エネルギー」が自分の内側からくるものなのか、外側からくるものなのか分からないですが、自分が意識しているもの以外の、もう一つの力はあるのだろうなと思っています。

参拝の方法

本やネットで参拝の方法が書かれていますが、参拝での神仏様に対する向き合い方は、自分自身に対する向き合い方と同じだということを聞きました。

 

なので、心を大切にして参拝することが大事なのだろうと思っています。

 

また、神社はお願い事をする場所ではないということも聞いたことがあります。

日頃からのお礼をする場所なのだと。

 

なにが正しいのだろう?と思いながら、お願い事をせず、感謝の気持ちだけを伝えたり、またお願い事をしてもいいだろうと思い、お願い事をしたこともあったのですが、

ネットに書いていた「ある言葉」がわたしの腑に落ちました。

それは、

 

『神社は自分の誓いを宣言する場所である。』

 

ということです。

 

感謝の気持ちは前提として、

何を行いたいと思っているのか、それが何のため、誰のためにどうつながるといいと思っているのか。

 

までをできれば神様に宣言するといいようです。

 

それが自分と、自分の内側や外側にある見えない、気づかない存在とつながることにより、行動する力をもらえたり、何かの奇跡を引き寄せてもらえたりするのかもしれないなと思います。

 

わたしは、なにも宣言することがないときは、感謝の気持ちだけお伝えしています。

 

そして、周りの人たちの幸せを願うことも大事だろうなと思います。




おわりに

神様について書いてみましたが、見えない世界においては未知なところが多いので、なにが真実なのかは分からないです。

 

また、いろんなことを見聞きし、感じることで、違っていたり、新たな気づきがあるのだろうなと思います。

 

中には神社で「神様を感じたり、見たことがある」という方と出会ったことがありました。

 

それもその人の事実なのだろうなと思うのです。

 

自分の見えている景色と、他の人の見えている景色が同じだとは限らないし、人の感じる力は様々なのだろうと思います。

 

「空気」や「電波」なども見えませんがそこにあるように、この世には「ある」けれど、見えていないものがたくさんあります。

この世界は、見えていないもののほうが多いと聞いたことがあります。

 

神様を感じたことがある人にとっては、それが「神様」であるし、見たことがない人にとっては想像で自分の中の神様を作ったり、またそれをないものとして見たり。

 

わたしは、わたしにとっての「神様」を想像し、それが自分と重なることで力が湧いてくることがありました。

 

それを自分の内側に見るのか、外側に見るのか、または両方に見て、それが合わせ鏡のようになっているのかもしれないし、宇宙の彼方にあるのかもしれません。

 

自分以外のなにかの存在があることで、自分の生きるための力を与えられたり、助けられたり。

 

それが、人によって神様であったり仏様であったり、またほかのなにかであったりするのではないかなと思います。

 

みなさんは、みなさんが思う神様のような存在がいるでしょうか?

 

何か感じるものがあれば、もしかしたらそれが「神様」と言われるような存在なのかもしれません(o^^o)

 

では、今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。