仕事やプライベートでも、
どこか余裕のなさを感じることがありました。
落ち着いて自分を見てみると、どこか「思考を使いすぎている自分」に気がつきました。
そのためか、わたしは無意識に「こうでないといけない」という思いが強くなっていました。
そして、そんな思いが強くなっていると、その中のどこかに否定的な思いが入っているということにも気がつきました。
でも、そうした思考を持っていたことに気づき、
思考を払い、
今の「わたし」に意識を向け、わたしの置かれている状況を俯瞰してみてみました。
そして、自分の感覚を大事にしてみました。
そうすることで、楽になれた感覚がありました。
思考を俯瞰する。
「思考」に疲れたら、無心になることが大切だと聞きます。
そこには「思考」はありません。
「思考」を止めると、静けさを感じました。
「思考」は誰でも必ずしています。
人は1日6万回の思考をしていると言われています。
一日中、頭のなかでおしゃべりをしているようです。
今、読んでいる本の中に、「自分の思考は、『本当の自分』ではない。」
と書かれていました。
これは、仕事などで使う思考以外のことを言っているようです。
それでも、「自分の考えていることは、自分じゃないのか?」と疑問に思いましたが、その思考を外した状態の中に、「本当の自分」があるのだと言います。
気づかないうちに、思考を「本当の自分」だと思い込んでいて、
思考が「主人」で自分が「しもべ」になっていると書かれていました。
「思考」は生きる上で必要不可欠なものですが、その使い方が偏ると、知らないうちに「思考」が錯覚を生み、それがすべてだと思わせられていることがあるようです。
思考を自分から外すことで、
「思考」は『自分』のごく小さな一面に過ぎないこと、
「本当にかけがえのないもの」が見え始めること、
また「思考」とは別の源泉から「美しさ」「愛」「創造性」「喜び」「心の平安」が湧き上がってくる
と、書かれていました。
自分の中の「思考」を自分から離し、客観的にながめ、さらに「無心」になり、それを深めることで上記のようなことに気づくことができるようです。
今、ここにある。
「今、ここにあるわたし」
それが、「本当のわたし」なのだろうかと思いました。
過去も未来もない「今のわたし」
こういった「感覚」を持つには、自然の中や日常の中で五感を感じること、瞑想をすること
などが効果的であるようです。
太陽のあたたかさ、皮膚に感じるそよかぜ、
鳥の鳴き声、水の流れる音、
水に触れる冷たさ、ものに触れる感触、
などを感じます。
また、自分の身体に意識を向けると、
自分の奥深くにある自分を感じることができるようです。
もし、思考を使い過ぎて少し疲れているなと思ったら、一度「思考」を自分から外すと楽になれます。
さらに、「感覚」を大切にし、深めていくことで、自分だと思っていた、また別の自分に気づけるのかもしれないんだなと思うと、興味がそそられます(^-^)
では、今回も読んでいただきありがとうございました♪