みなさん、こんにちは(^ ^)
たまたま読んでみた本が「生まれ変わり」「魂」など、科学的にはわからないことについて書かれている内容の本でした。
わたしはその本を読んで、現実では分からないけれど、それをどうとらえるかによって、「この世」での生き方が変わってくるのかなと思いました。
今回の内容は、現実では説明できない、
見えない世界から考えた「生き方」について少し考えてみました。
非科学的な話もありますが、このブログでは自分の考えを出してもいいのかなという勝手な思いで、書いています(*^ω^*)
よければご一読ください。
生まれ変わり
みなさんは、人は「生まれ変わり」をすると思われますか?
思われる方、思わない方、あまり考えたことがない方がおられると思います。
わたしは以前から、「生まれ変わり」はあるのではないか?と思っている方です。
この体には、「魂」が宿っていて、この人生が終わるとその「魂」はまた、別の身体に入り、生まれ変わるのだという話をよく聞きました。
いわゆる「魂」が本体で、「身体」は借り物であるということです。
そして、この「人生」は「魂」を成長させるためのものなのだと。
今までそういったことを聞くことで、自分の中のなんとなくの感覚として「そうなのだろうな」と感じるようになり、そういったことを書かれている本などを読んだり、聞いたりすることで、さらにそのように感じてしまいます。
自分の信じているものが、そこにあるからなのかなと思います。
生まれてきた理由
みなさんは、生まれてきた理由を考えたことがありますか?
考えたことがある方も、考えたことがない方もおられると思います。
理由なんてないと思うこともありますが、
わたしはこういうことを考えると、わたしの生まれてきた理由は「学ぶ」ためなんだろうなと思います。
「使命」とか「役割」だとか、人生に何かを残し、そこに意味を見出すということではなくて、学び、「成長」させるためにあるのだろうなと。
その過程で、大なり小なり「使命」や「役割」といったものを持てることもあったり、その「使命」や「役割」が、今世での自分の成長に必要なことであったりもすると思います。
人は誰でも、そういったものを見つけられるような気もするし、またそういったものが持てなくても、人と関わる上で、何か自分なりの気づきがあればそれだけでも十分、「学んでいる」ということにもつながるのかなと思います。
本の中に「人は親を選んで生まれてくる」ということが書いてありました。
幼い子供たちの中には「前世」の記憶があったり、生まれる前のことを覚えている子供たちがいたそうです。
その子供たちになぜこの親のもとに生まれてきたの?と問うと、
「お母さんが優しそうだったから」
「あのお父さん、お母さんのところに行こうって思ったから」
などと話し、「光の存在」のあるところから、「自分で選んできた」と共通して言われていたということでした。
もし、「自分が親を選んだ」ということが本当で、人生が「成長」「学び」をするためにあるのなら、
この家庭、両親の元に生まれてきたことに、まず、今世での自分にとって大切なことの「学び」があるのかなと思いました。
「幸せ」をベースに生きる
この「幸せをベースに生きる」ということは、いつも読ませていただいている方のブログに書かれていました。
人生を「学び」だととらえると「苦しみ」があって当たり前だと思いがちになります。
でも、そう思うと人生がつらくなるような気がします。
その方のブログに、
『宇宙は愛であり、愛は人に不幸であることを望んでいない』
と書かれていました。
人生で、この世界で、この宇宙で、一番大切なことは「愛」なんだろうなと思います。
今のわたしにはその「愛」というものの実感がぼやっとイメージはあるものの、
まだ実感できていないような感覚なので、
そのことを言うのは僭越な感じがするのですが、でもそれが大事なんだろうなと思っています。
人生は「学び」ととらえても、それを「苦しみ」の中に身を置くことが当たり前だと思わず、
まず自分が「幸せ」であることを大切にする。
その上で「成長していくこと」を大切にするといいのだなと思いました。
そしてその中に、悲しみ、苦しみがあったとしても、それは「愛」に気づくための大切なものなのだろうと思います。
生き方は選べる
「生まれ変わり」とか「魂」の話は、目に見えないことであったり、自分が経験することもできない話なので、
なにが「答え」なのかは生きている限りはわからないです。
こういった話は、本当に感覚でしかつかめないものだろうと思います。
それも合っているかどうかもわかりません。
人によれば、そういった話は敬遠されるような話ではありますが、
そういった話を、信じるかどうかでも、人生にまた違った景色をもたらしてくれるのだろうとも思います。
人生には、いろんな生き方があります。
人生において、いろんな分岐点があります。
その分岐点をどう選択するか、起きたことをどうとらえるか、
「自分にとって本当に大切なことは何なんだろう?」
となんとなくでも思うことで、自分が求めるその場所までいくことができるのかもしれないなと思います。
「人生は生まれた時から、あらかじめシナリオが作られている」
と聞いたことがあります。
それがどういったシナリオなのか、
人生で起きることがもう決められていることなのか、
おおまかなことのみが決められているのか、
また大体の最終段階のみが決められているのか、
その人の大切なことが何なのかが決められているシナリオなのか・・・
などなど、シナリオがどんな内容なのか?を想像すると、いろんなことが想像できるし、わからないし、
そもそも本当にシナリオがあるのかどうかもわからないですが、
「起きたことには何か意味をもち、それを見つけることができる」
のだろうなと、思っています。
この家族として生まれたこと、
この人たちと出会ったこと、
この経験をしたこと、
そしてこれから出会う人、経験のこと・・・
すべてのことは、
「出会うべくして出会った人、起こるべくして起こったこと」
なのだろうなと。
そしてそこには、必ずプラスの要素が含まれているんだろうなと。
でも、そこに意味を見出さず生きるという選択肢もあります。
シナリオが、もしあったとしても、どんな生き方、考え方もすることができるんだろうなと思います。
でも、そこに意味を見出すかどうかというのも、シナリオ通りなのかもしれないし、
意味を見出さないことでの学びがシナリオの中に用意されているのかもしれないし、
意味を見出すことではじめてシナリオが完成されるのかもしれないなとも思います。
なんだか深くて、不思議な話だなと書きながら、しみじみ思いました。
でも、「生き方は自分が決める」からこそ、どんな生き方、考え方をしたいのか、
何が大切なのかは考えていたいなと思います。
そして、「幸せ」をベースに歩みたいです(^-^)
では、わかりにくい内容もあったかもしれないですが、今回も最後まで読んでいただきありがとうございました♪