みなさん、こんにちは(^ ^)
前回のブログのなかで「言語的コミュニケーション」と「非言語的コミュニケーション」について少し書きました。
この言葉はわたしがしている仕事のなかではよく聞く言葉で、学んだことがありました。
人と関わる仕事のなかで、コミュニケーションはとても大切で、特に非言語的コミュニケーションが大切だと実感しています。
また、仕事以外でも誰かしらとコミュニケーションをとっています。
みなさんも、誰かしらとコミュニケーションをとりながら過ごされていることと思います。
今回は、誰もが身近にある「コミュニケーション」について、わたしなりに少し調べたことと考えたことを記事にしました(^-^)
コミュニケーションとは?
まず、コミュニケーションという言葉はラテン語の「コムニカティオ」を語源とし、「分け合うこと」といった意味があります。
英語では「観念、思想、情報を伝えあうこと」という意味を持ち、
「社会生活を営む人間の間に行われる知覚・感情・思考の伝達のこと」を言うようです。
その方法は言語・文字、その他、視覚・聴覚などに訴える各種のものにより伝達されます。
Wikipedeaより↓
一般に「コミュニケーション」というのは、情報の伝達だけが起きれば充分に成立したとは見なされておらず、人間と人間の間で、《意志の疎通》が行われたり、《心や気持ちの通い合い》が行われたり、《互いに理解し合う》ことが起きたりして、はじめてコミュニケーションが成立した、といった説明を補っているものもある。
コミュニケーションに含まれるものには実に広範囲に及ぶ。乳児の段階から始まっている表情や身ぶりを用いた非言語的なものから、年齢を重ねるにつれ次第に学習される言語的なものまで含まれる。
引用:Wikipedia
と言ったことが大まかなコミュニケーションの説明として書かれていました。
言語的コミュニケーションと非言語的コミュニケーション
コミュニケーションには、言語的コミュニケーション(バーバルコミュニケーション)と非言語的コミュニケーション(ノンバーバルコミュニケーション)に分けられます。
言語的コミュニケーションとは「言葉」を使ったコミュニケーション全てを対象とし、「音声言語」や「手話」、筆記を用いた「筆記言語」があります。
一方、非言語的コミュニケーションとは、表情、顔色、視線、しぐさ、相手との距離、姿勢、声のトーン、話し方、ジェスチャー、香り、ファッションなど言葉以外であらわれるものがあります。
また、手話や筆記言語の場合でも、手話のたどたどしさや字の大きさや形、筆圧の強さなどは非言語でのメッセージとされています。
上記のように、非言語的コミュニケーションは、視覚・聴覚・嗅覚・味覚・身体的要素など、五感で感じられるものが含まれます。
メラビアンの法則
アメリカの心理学者、アルバート・メラビアンによって提唱された「メラビアンの法則」というものがあるようです。
この法則は、人はコミュニケーションを取るとき、受け取る情報を”100”とすると、
相手から発せられる「言語情報」から7%
声のトーンや口調、大きさ、話す速度などの「聴覚情報」から38%
相手のジェスチャーや視線、表情などの「視覚情報」から55%
の情報を受けており、「7ー38ー55ルール」と呼ばれているようです。
言語での情報がわずか7%しかなく、93%は非言語で相手の情報を受け取っていると書かれています。
メラビアンの法則では視覚、聴覚のみしか書かれていないですが、その他の文献や調べたなかでは、非言語的コミュニケーションにはそのほかの感覚情報も含まれており、7〜9割は非言語によって、人とコミュニケーションをとっていると書かれていました。
それほど、人とのコミュニケーションにおいて非言語的要素は重要であり、意識的ないし、無意識的に五感を使って情報を伝えたり、受け取ったりしています。
心は通じる
非言語とは、その人の「心」であると言えると思います。
「心」が表情や視線、しぐさなど非言語的メッセージとしてあらわれています。
この仕事を通して、相手や自分にあらわれる非言語的メッセージから心のやりとりが行われているなと思った最近の体験談がありました。
ある70代の女性の方がいました。
その方は、寝たきりで体がほとんど自力では動かすことができませんが、言語的コミュニケーションは可能な方です。
でも、その方と言語的コミュニケーションをとったことがある職員は数少なく、何か話しかけても、じっと視線を合わせるだけで発語がないことがほとんどです。
わたしはその方と言語的コミュニケーションをとったことがあるのですが、それも毎回ではなく、話しかけても視線を合わせるだけで、声を出してくれないことも多くあります。
自分の心の中をその方に見透かされているような感じがあり、自分の中の非言語的メッセージが相手に届いてしまっているのではないかと思いました。
少し急いでいる時や、自分のなかにあるネガティブな思いがあるときは、その方は必ず言葉を出してくれませんでした。
反対に、心に余裕を持ち、相手を受け入れるような心地いい気持ちで関わると、たくさん話をしてくれることがあります。
その方は「怖さ」を感じやすいようで、なにかのケアをするときに、「怖い」という言葉を発することがありました。
その合わせる目からは「怖さから自分を守りたい」というメッセージが伝わってきました。
相手の目をじっと見つめ、自分の心を訴え、職員の心を察しているのだろうかと思いました。
だからこそ、受け入れてくれる心、安心できると思った時にだけ、言葉を発してくれるのだろうかと思いました。
自分の心が無意識に非言語的メッセージとしてあらわれ相手に伝わっていると思うこと、また相手の視線から非言語的メッセージを受け取っていると思う経験です。
心と言葉
言語的コミュニケーションと非言語的コミュニケーションのなかで、非言語で伝わる割合が圧倒的に多く、非言語的コミュニケーションは大切だと思います。
自分の心の中を意識的に非言語的メッセージとして出すこともありますが、無意識的にもあらわれてしまっていることも多いのだと思いました。
また、相手の非言語的メッセージも意識的ないし、無意識的に感じ取り、わたしたちはお互いの心のやりとりをしているのだろうと思います。
「言葉」もとても大切です。わたしたちは音声言語や筆記言語を主に使いますが、手話も使われる方もいらっしゃると思います。
いくら非言語的コミュニケーションが多くの割合を占めているといっても、「言葉」がないと相手に伝わらないことが往々にしてあります。
五感で感じ取っていても、人や時により五感の感じ方も違いますし、わたしたちの五感は、完全ではなく錯覚を起こすこともあります。
また「言わなくても分かるだろう」と思っていたことが伝わっておらず、それが人とのすれ違いを生むということもあります。
だからこそ、何かを伝えたい時、自分の感情を分かってもらいたいときのために「言葉」があるのだと思います。
「心」も大切だし、「言葉」も大切です。
「言葉」の起源は、諸説ありますが、「歌」だとも言われているようです。
歌を歌い、求愛したり、狩りをしたり、楽しく食べたり♪
わたしたちの祖先たちは、愛情や楽しい・嬉しいといった「快」の感情を「歌」としてまず、あらわしていたのだろうかと思いました。
音楽にのせて歌を歌うと、ストレスが解消できたり、楽しくなれたりする感覚があり、「歌」=「楽しいもの」というイメージがあります。
悲しい歌も時にありますが、楽しい歌の次に表現されたのが悲しい歌なのかもしれないなと。
もし、言葉を作り出した根本が「歌」であり、その「歌」が楽しくて「快」を感じるものから始まったのだとしたら、本来の人とのコミュニケーションも「楽しいもの」なんだろうなと思います。
「心」を主旋律とし、そこに「言葉」をのせて、コミュニケーションという一つのメロディーを奏でていく感覚。
それが本来の人とのコミュニケーションなのかもしれないと思いました。
わたしたちには喜怒哀楽のいろんな感情をのせたコミュニケーションがあります。
そのなかで、心が喜んで、楽しくなれるようなコミュニケーションを誰もが求めているのかもしれないなと思いました(^ ^)
では、最後まで読んでいただきありがとうございました。