みなさん、こんにちは(^ ^)
わたしがいつも参拝させていただいている神社があるのですが、たまたま参拝した時に、世界平和のご祈祷をされていました。
後方で少しその祝詞を聞いていましたが、手を合わせ帰ろうとしたときに、
宮司さんが「ご参拝の方も中に入り、一緒にご祈祷されませんか?」と呼びかけてくださいました。
今日がロシアのウクライナ侵攻がはじまり、1ヶ月となるとのこと。
「1日でも早く、戦争が終わるように」と願いを込めた儀式とのことでした。
宮司さんの言葉
ご祈祷の終わりに、宮司さんのお言葉がありました。
わたしはそれが深く心に残りました。
「わたしたちは本来、みんなが素晴らしい御魂(みたま)を持っている。御魂とは心のこと。
でも、人間はときに過ちをおかすことがある。
皆が手を取り合い、仲良く過ごせるように願う。」
といったようなお言葉でした。
みんなが素晴らしい存在
そこには、「誰が悪い、誰が間違っている」といったような、誰かを責める心がないなと思いました。
わたしたちはみんな素晴らしい心を持っている。
それなのに、周りの環境や人たちとの関わりの中で、ネガティブな感情を抱き、
人間の欲に溺れ、自分を責め、人を責め、過ちをおかす。
そんな本来の心が見えなくなってしまう。
みんなが素晴らしい存在なんだと思うことができれば、世界中の人々が、笑顔で仲良く暮らし、素晴らしい世界を持つことが出来るのだろうけれど、それが難しいのも人間社会なのかもしれないと思います。
でも、そう思える人が一人でも多くなることで、本当の「世界平和」につながっていくのかもしれないと、
世界について考えるのはとても難しいのですが、そんなことを思ったのでした。
許すこと
みんなが素晴らしい心を持っている。
でも、ときに過ちをおかしてしまう。
その過ちをおかした相手をもいかに許し、尊重できるか?というのも大切なのだろうと思います。
わたしは最近、職場の人間関係でいざこざがありました。
わたしは相手に嫌な思いをさせようとしたつもりはなく、相手もわたしに嫌な思いをさせようとしたつもりはない。
きっとお互いそんなつもりはなかったのだと思います。
わたしはわたしが相手にしてしまったことを反省しました。
相手も相手がわたしにしたことを反省した言葉を伝えました。
それで、ことは済んだと思っていました。
でも、お互いがしたことに対して、お互いが傷ついてしまった。
その傷つけられた言動に対して、悲しみから怒りの気持ちを持つことがありました。
「なぜ、そんなことをしたのだろう?」「相手が悪い」「自分は悪くない」と思ってしまいました。
きっと相手も同じように思っていたのかもしれません。
許す心が大切だと頭では分かっていても、その人を見ると、相手のした言動から傷つけられた心がうずき出し、表面上は普通に接しているつもりでも、許す心が持てていないなと思いました。
でも許すことが大切なんだと。
何度、相手を認めること、許すことが大切だという結論に至っても、
相手を目の前にすると、傷つけられたことの悲しみから、自分を守る心やプライドというか頑固なところというか、そういうものを持ってしまうのだなと思います。
でもそういった自分をも認め、許すこと、相手も認め、許していくことが大切なのかなと思います。
「私たちは本来、みんなが素晴らしい御魂を持っている」
そういった、一人ひとりを尊重していく心を育んでいくことが、素晴らしい人間関係、素晴らしい社会、素晴らしい世界を築いていくことが出来るのだろうと思いました。
この宮司さんの言葉を心に刻み、
まずは身近にある人間関係から、相手を許す心、尊重する心を育んでいきたいと思いました。
そして1日でも早く戦争が終わることを願います。
では、本日も最後まで読んでいただきありがとうございました。