Happy Life

笑顔で前向きに過ごすための気づきや情報・日々の思いを書いていきます。

その人のためにできること。〜人生の最期を通して考えたこと〜

みなさん、こんにちは(^ ^)

 

今回の内容は、わたしが仕事をする中で「人生の最期」を迎えた方との経験を通し、人との関わりで感じたことを書きました。

 

「人生の最期」というと、寂しさ、悲しさ、恐れなど負の感情を抱く方も多いと思います。

 

もしそういう内容の話がつらくなってしまう方、苦手な方はここでお読みになることを控えていただけたらと思いますm(__)m

 

 

人生の最期


車を走らせていると、見覚えのある方の名前が書かれたお通夜、御葬儀の案内看板が目に入りました。

 

「Tさんが亡くなったんだ・・・。」

 

わたしはその方の生前の姿を思い浮かべました。

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わたしは現在、高齢者施設で勤務しているのですが、その方はその施設の入居者さんでした。

大腸癌の末期であり、この夏が山場だろうと診断されていました。

 

でも家族の意向により、体力が持つギリギリまで施設での生活を希望されました。

日に日に体力が落ち、食事も喉を通らなくなり、もうここでの生活は限界だろうという医師の判断でこの夏、緩和ケア病棟に移られました。

 

そこから音沙汰はなくなっていましたが、今回その方の名前を見ることで、この秋まで命を全うすることができたTさんの命の強さを感じました。

 

そしてTさんが話した言葉を思い出しました。

 

同時に以前にあった、ある方との関わりも思い出されました。

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最期の時間


わたしが病院で勤務していたときのことです。

 

入院患者さんで80代の男性、Kさんという方がいました。

脳梗塞後遺症によるリハビリをするために入院されていましたが、Kさんは「腹部大動脈瘤」というものを抱えていました。

それはお腹の中にある大動脈が一部、瘤のように膨らんでしまっている状態です。

その大動脈瘤が破裂する前の治療が命を守る上で有効ですが、もしそれが破裂してしまうと、死亡率は80〜90%と言われています。

 

Kさんは年齢的なこともあり、その治療も行いませんでした。

よく「ここ(腹部)に爆弾抱えてるんよ。もう医者にも言われてる。」と話し、それが破裂すると人生の最期を迎えるのだと覚悟をされていました。

 

リハビリを目的に入院されているといっても、退院後は自宅には戻れない状態であるということ、また、いつ腹部大動脈瘤が破裂するかもしれないという思いを持ち続けていることからか、希望が持てず、先行きの不安を口にすることが多く、Kさんの病室に訪室した際には物思いにふける表情をされていることがとても印象的でした。

 

わたしはKさんの不安をききながら、年齢的なことや家族の意向からも現状をかえられないことに自分の無力さを感じました。

 

でもKさんはおちゃらけることもある楽しい方で、わたしは少しでもその方が笑顔で過ごせるようにと、笑顔で関わりました。

また昔の楽しかった思い出を話すときがとても笑顔となり、Kさんの元気だった頃の楽しんでいる様子がイメージされ、少しでも時間が取れるときはその昔話に花を咲かせていました。

 

「今日はゆかちゃんに会えた。嬉しいよー。」と全身で喜んでくれることもあり、わたしもとても嬉しい思いをしたことを覚えています。

 

でも先行きの恐れなど、Kさんの複雑な思い、またしんどさもあったのだと思います。

リハビリを拒否されたり、怒って興奮することがあるといった申し送りを聞いていました。

 

そんなある日の深夜のことです。

 

Kさんの病室に訪室した際、Kさんから名前を聞かれました。

 

わたしは自分の名前を伝えると

「やっと見つけた!住所教えてくれ。お礼したいんや!」

とわたしの腕をぐっと握りました。

 

「頼む!教えて!」と腕を強く握られ懇願されましたが、住所を教えることはできないことを伝えると、残念そうな表情をされていました。

 

あんなに強く腕を握り、懇願するKさんに少し違和感を持ちましたが、業務の多忙さもあり、深く気に留めず、夜勤を終えました。

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そして二日後、休み明けに出勤すると、Kさんが急変しているということを聞きました。

 

わたしがKさんを見たのは、ついさっき、息を引き取ったばかりの姿でした。

 

わたしはKさんの「生命」がなくなった姿を見て、状況が少し整理できずにいました。

医師による死亡確認を終え、わたしはKさんの少しでも命を繋ぎ止めるためにした医療処置を外し、衣服を整えました。

そして、別の看護師が行ってくれたエンゼルケア(身体を綺麗にしたり、整容すること)が終了し、最期のお見送りに立ち会いました。

 

家族の方からの「ありがとうございました」という言葉。

最期のお見送りを終え、Kさんとの関わりが思い出され、心にぽっかり穴が空いたような気持ちになりました。

 

わたしがKさんと生前関わった最後の出来事に何か意味があったような気がしてなりませんでした。

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その人のためにできること

わたしは介護職として働いていた時から、数は多くはありませんが、「人生の最期」に立ち会うことがあり、その時にいつも思うことがありました。

 

「わたしのこの方への関わり方はこれでよかったのだろうか?」と。

 

でもその答えはわかることはなく、後悔する思いがいつもありました。

 

「これがよかった」というのはその方が思うことであり、「これでよかったの?」と本人に尋ねる術もありません。

 

でも今回書いたことに、わたしにとっての「答え」があるような気がしました。

なかなかゆっくり時間が取れないこともあり、Kさんの思いにもっと寄り添うことができればという思いもありましたが、Kさんの「お礼がしたい」と言ってくれた言葉は、どこか「これでよかったよ」と言われているような気がしました。

 

その方のために、その方の思いを共に感じ、関わりを大切にすること。

 

その関わった時間が、少しでもその方の役に立つことができていたのなら「よかった」のではないか。

 

都合のいい解釈だと言われれば、それまでですが、「これでよかった」と自分が最終的に思えればいいのかもしれないと思いました。

 

人との関わりで、何が正解かなんてわかりません。

自分がこれでいいと思っていても、相手はいいとは思っていない場合もあります。

でも、自分の関わりと、相手の言葉があることによってその関わりに「これでよかった」と思うことができました。

 

仕事だけでなく、プライベートでも、「その人のために何ができるか?」と思うことはとても大切なのだろうと思います。

 

そしてそれは、人と関わりを持ち続ける人生において、とても大切なことなのではないかと思うのです。

 

わたしは利己的な考えを持つことも多いのですが、この「人生の最期」に立ち会う経験を通して、そのことを教えられたような気がしました。

 

 

最後に、今回お亡くなりになったTさんが話した印象的な言葉がありました。

それは

 

 

 

「色々あったけど、これでよかったんやと思う」

 

 

 

では、最後まで読んで頂きありがとうございました。

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