わたしたちは意識的ないし無意識的に人に期待してしまっていることがあると思います。
相手がこうであってほしい、こんな行動をしてほしい、こんな言葉をかけてほしいなど、自分が求める言動を相手に期待しているのです。
そんなふうに思う人は多いのではないかと思います。
わたしも知らず知らずのうちに相手に自分の思っている通りに行動してほしいと思っているときがあります。
でも、その気持ちが強すぎて、相手が自分の期待した通りの言動をとってくれないことにより、怒りや悲しみなどの負の感情を持ち、トラブルになることがあります。
そういった状況に自分自身もおちいったことがあり、それを見たこともあります。
そこで「人に期待しないこと」が大切ではないかと思いました。
「人に期待しない」とはなんだか冷たい印象を持ちますが、むしろ相手を尊重することができ、相手と良好な人間関係が築けるようになるのだと思いました。
今回は「人に期待しないこと」をテーマとして考えてみました。
人に期待しないこと
「人に期待しないこと」について考えると、以前、「星の子」という芦田愛菜さんが主演の映画の会見での「信じるとは?」というテーマで芦田さんが話した言葉が話題となったことが思い出されました。
信じるとは
芦田さんの言葉↓
「その人のことを信じようと思います」という言葉をよく使うと思うのですが、それってどういう意味なんだろうと考えたときに、その人自身を信じているのではなくて、自分が理想とする、その人の人物像みたいなものに期待してしまっていることなのかなと感じて。
だからこそ人は「裏切られた」とか「期待していたのに」とか言うけれど、別にそれは「その人が裏切った」というわけではなくて、「その人の見えなかった部分が見えただけ」であってその見えなかった部分が見えたときに「それもその人なんだ」と受け止められる、『揺るがない自分がいる』というのが「信じられることなのかな」って思ったんですけど。
ということを言われていました。
わたしはその内容にとても考えさせられました。
「信じる」の矢印は自分にあるのだろうと思いました。
「人を信じたい」と思うときは、自分が相手に「裏切らない相手であってほしい」と期待してしまっているのではないかと思います。
傷つきたくない、自分を守りたい。
でも自分で自分を守るのは不安があるから相手にゆだねたい。
そんな繊細で崩れそうな自分があり、その気持ちが強くなると、「相手を信じたい」という言葉を使ってしまいたくなるような気がします。
例えば、家族や親友が自分の悪口を言っていたのを聞いてしまったときや浮気、借金などをしていたことがわかったとき。
きっとショックは大きいでしょう。
この人のことを信じていたのにと思うかもしれません。
でも、それは自分が勝手に相手に期待していただけのこととなるのです。
相手のことを表面的にしか見れておらず、深く相手を見れていなかったのでしょう。
もしくは、わかっていたけれど、あえてフィルターで隠した状態で相手を見ていたという場合もあると思います。
ありのままの相手を見れていれば、その人はそんな部分もあるのだと理解しているはずです。
そもそも、本当に自分が信頼している相手に対しては「信じたい」なんて思わないのではないかと思います。
自分の不安定で不安な部分が、「信じたい」という思いを作ってしまう。
わたしたちは完全なありのままの相手の姿を知れることはまれなのかもしれません。
だからこそ、その人のいろんな側面が見えてしまったときに「動じない自分、揺るがない自分」をもつことが大切なのでしょう。
人に期待しないとは
人の思考は十人十色であるということ、そこをまず理解することが大切なのかなと思います。
相手が自分の思うような言動をとってほしいと思っていても、自分は自分であり、相手は相手です。
相手を動かすことはできません。
そして、相手がその言動に至った理由・背景は必ずあるということを知ることが大切です。
例えば、上記にある相手が「裏切った」とされる「悪口」という言動の場合。
そもそも、相手はそれが「悪口」と思っていたのでしょうか?
相手はその人には分からなくても、普段から「悪口」を口にする性格であったのかもしれません。
また以前からその人に対して不満を抱えていたり、ちょうど別のことでイライラしていたのかもしれません・・・
その言動に至るまでの背景が何かしらあるのだと思うのです。
それはその人の性質や周りの環境、人、感情、思考が重なり合って、その言動に行き着いたのだと思うのです。
自分は自分、相手は相手であり、まったく別の人間です。それぞれ事情があります。
それを自分の期待する言動をとってほしいと願うのは、不可能に近いことなのだろうと思います。
受け入れること
ではどうすればいいのでしょう?
結論からいうと、
「受け入れること。」
これに尽きるのではないかと思います。
人と自分は違うということを理解し、相手を受け入れ、尊重するということです。
言葉で書くことは簡単ですが、なかなかそれが難しいからこそ、人間関係のトラブルや悩みは尽きないのだと思います。
人を受け入れるためにはまず、自分を受け入れることが重要です。
人のことをどれだけ受け入れられているかは、自分のことをどれだけ受け入れられているかと比例しています。
それは部分的なところもあるし、深さもあります。
自分のこの部分が受け入れられているなら、相手の同じ部分は特に気になりません。
相手を受け入れられていることは、自分のことも受け入れられているということであり、それが増えることによって、相手のいろんな側面が見えても動じない自分、揺るがない自分をつくるということにつながるのだと思います。
そんな動じない、揺るがない自分を持つために、みじめだと思う自分、弱い自分、否定的な自分、どんな自分をもまず受け入れるということが大切なことなのではないかと思います。
自分自身を尊重することが、人を尊重することにつながる。
でも自分をなかなか受け入れられない部分があったり、人との関わりで新たに受け入れられない部分が出てくるからこそ、わたしたちはときに悩み、悲しみます。
人間は未熟で生まれてきています。
生まれてから死ぬまでに完全に完璧になれる人なんているのでしょうか。
完全に完璧というと、ほんとうに全てのことが受け入れられるという、神様のような、崇められる存在である気がします。
なので、どこかで受け入れられていない部分もあっていいのかなと思うのです。
それに気づき、そこから多くのことを学び、また人として成長できる。
人生はその繰り返しです。
でもつらいことが多く、それを減らしたいと思うなら、より多く自分を受け入れ、自分を尊重していくことが大切なのかなと思います。
そして、自分を受け入れた分だけ人を受け入れ、人を尊重することで良好な人間関係を築くことができ、幸せをより多く感じ、より良い人生を送ることができるのではないかと思います。
「人に期待しない」というテーマですが、やはり人は人に期待してしまうときはあります。でもその気持ちが強くなり、負の感情を抱くなら、相手を受け入れる、尊重するということが大切なのではないかと思います。
難しいときもありますが、自分がどういった生き方がしたいのかと考えることで、大切だと思えることに気づかされるのだと思います。
今回の内容はなかなか奥が深く、考えれば考えるほど出てきたり、また別の視点で考えられたりし、分かりづらいところもあったかもしれません。
どこか共感するところがあったり、見てくれるだけでもうれしく思います(^_^)
では、最後まで読んでいただきありがとうございました。