『みにくいアヒルの子』
この作品は聞いたことのある方も多いと思います。
デンマークの作家、ハンス・クリスチャン・アンデルセンがかいたアンデルセン童話の一つです。
この童話はわたしにとって、思い入れのある童話であり、幼心にこの絵本を読み、アヒルの子がとてもかわいそうで、でも最後は幸せになれたアヒルの子をみて「ああ、よかったな」と、安堵の気持ちと幸せな気持ちになりました。また、自分もこんなふうに立派になれるんだろうかと希望のようなものを感じたことを思い出します。
大人になってあらためて読んでみても、とてもおもしろい物語だと思います。
そんな幸せな結末を迎える物語ですが、この作品は、作者である「アンデルセン」自身をモデルにして書かれていると言われています。
あらすじ
ここで、簡単なあらすじです。
あるアヒルの群れのなかで、他のアヒルと異なった姿の灰色のヒナが生まれました。
アヒルのお母さんは、この灰色のヒナがみんなと同じように上手に泳いだので、一緒に育てることにしました。
でも、灰色のヒナは兄弟やほかのアヒルたちから、さらにほかの動物たちからもいじめられるのです。
かばってくれていたアヒルのお母さんもいたたまれなくなり、ついには「せめて、遠くに行ってくれたら・・・」と言います。
それを聞いたヒナは、アヒルの群れから逃げ出しました。
群れから逃げた後も、出会った鳥や動物たちからいじめられてしまいます。
そんな辛い思いを続けて、一冬がすぎました。
生きることに疲れてしまった灰色のヒナは、殺してもらおうと白鳥の住む水地に行きます。
しかし、白鳥たちの意外な反応に灰色のヒナは自分の姿を見ました。
いつの間にか大人になっていたアヒルの子は、アヒルではなく美しい白鳥になっていたのです。
「はじめまして、新入りさん」
こうして、白鳥たちから歓迎され、アヒルの子はいつまでも幸せに暮らすことができました。
というようなお話です(^ ^)
この物語から思うこと
どんなに辛く暗い状況であっても、いつかは明るく幸せを感じられるところへいけるのだと、希望を持つことの大切さを感じます。
前にも書きましたが、この作品は作者である「アンデルセン」自身がモデルだと言われているようです。
アンデルセンは貧しい家庭で育ち、よくいじめられていたようです。
また、気に病みそうな過酷な家庭環境でもあります(;ω;)
参考にしたリンク↓
そんな経験がありながらも、作家として大成したアンデルセンはこの「みにくいアヒルの子」を通じて自身の経験、希望を持つことの大切さを伝えたかったのでしょうか。
この「みにくいアヒルの子」は辛く、暗く、耐えがたい状況から、それを乗り越えたからこその幸福感は誰にも味わえないものになったのでしょうね。
アンデルセン自身もそう感じることができたのでしょうか。
アンデルセンは、過去について「あの欠乏と貧困だらけの、重たい、暗い時代のことを思い出しますと、しばしばわたしはいっさいが夢のような気がしてなりません」と記してます。
そして生涯を「わたしの生涯は一編のうつくしい童話であり、ゆたかで幸福にみちている」と記しています。
アンデルセンの当初の作品は主人公が死を迎える作品が少なくなかったようです。
でも晩年になるにしたがって、その傾向はゆるめられ、死以外にも幸せになる術を作中に書き表していったと書かれていました。
「みにくいアヒルの子」はアンデルセンが40歳頃に発表された作品です。
この結末が「幸せ」を感じられるということは、当時のアンデルセン自身も「幸せ」を多かれ少なかれ感じることができていたのかもしれません。
アンデルセンは生涯を「幸福に満ちている」と記したということは、その暗かった過去も受け入れることができていたのかもしれないなと感じました。
過去もひっくるめて、うつくしい一編の物語としてとらえた意味。
このことを考えると奥が深くて、作品とアンデルセンの心中を慮るのは簡単なことではないですね(^^;)
また別の視点で捉えたり、さらに奥深く考える方もおられるでしょうね(^ ^)
みなさんはどんなことを思うでしょうか?
わたしたちの人生も、物語のようだなと思います。
色々な展開があるけれど、全てはつながっていて、最終的なところに行き着くのだと思います。
その展開はその物語には必要なことなのだと思います。
読み継がれている物語と作者の心中を想像することで、さまざまなことが学べるような気がします。
では、読んでいただきありがとうございました♪