こんにちは(^ ^)
以前の記事で「切り離す」という考えが大切だと書いたことがあります。
わたしはこの「切り離す」という考え方は人生においてあらゆる状況で大切なことだと思っています。
今回は自分の経験からこの考え方が誰かの何か参考になればと思い、かいてみました(^_^)
「切り離す」という考え方は、親や家族との関係性、過去に対して、自分自身に対して、起こった物事に対して・・・などあらゆることに当てはめて考えることができます。
「切り離す」とは「客観的に見る」ということです。
わたし自身この考えができていなかった時は、起こった状況に対して、深くのめり込んでしまいネガティブな思いにとらわれ、ストレスから病気になることがありました。
また、親の期待に応えたいという無意識の思いから、無意識に親の人生を歩もうとしていました。
そのため、自分というものが分からず「人生の辛いことは親のせいである」と親を責めてしまったこともあります。
人とのコミュニケーションが苦手なのは、緘黙症という過去があったからだと考えていました。
確かにその状況に対して親との関係性やその環境、その過去があったからというのは一因ではあると思います。
でもそれだけが理由なのか?と思いました。
それはただの自分の思い込みに過ぎず、ただ人やその状況のせいにしているだけだということに気がつきました。
起こった状況に対して、そんなに深くネガティブにとらえる必要もありません。
自分が一番気にしていました。
緘黙症だったわけではなくても、コミュニケーションで悩んでいる人はたくさんいます。
小さい頃からの親の考えが無意識に刻まれていますが、生きていくなかでいろんな人の考えを通して自分の考えは確立していきます。親は親の考え方があり、自分は自分の考え方があるのだと考えることが大切なのではないかと思いました。
一因ではあったとしても、他に考えられる理由はあったのです。
そしてその他の理由の方が大切でした。
小さい頃からの環境や親のこと、過去のこと、起こっている事象については変えることはできません。
変えることのできないことをそのせいにして、ネガティブな悪循環におちいってもそれは自分が作っているものです。
ある辛い状況が起こっても、そこにのめり込んでしまうと一緒に辛い状況と同化してしまい、視野が狭くなります。
そこで客観的に切り離して考えるのです 。
すると「こういう状況が今起こっているんだ」と客観的に見ているので、広い視野を保ち、物事に対処することができます。
親との関係性では「親がこうだから、自分もこうだ」と同じとらえかたをするのではなく、「親は親で自分は自分である」と切り離して考えます。
親も自分も個性があり、一人の人間です。同じということはありません。
同じではないのに、同じようにしなくてはいけないという無意識の考えから違和感が生じ、その葛藤が生きづらい現状を作っている場合もあるのではないかと思います。
そして「過去がこうだから、自分はこうなんだ」と考えてしまうこと。
以前のわたしは緘黙症だった過去を受け入れられませんでした。
過去を受け入れられないと、受け入れられない現状がついてきます。
過去と今の自分を切り離して考えました。
すると過去があったからこそ今があるということに気づき、過去を受け入れることができたのです。
過去を否定せず、現状を否定せず、これからどうしていくのかということの方が大切ではないかと気がついたのです。
こんなふうにわたしは「切り離す」という考え方をしたことで、あらゆる状況を受け入れることができるようになりました。
すると、そこには必ずプラスのことがありました。
辛い状況でもそこには必ず何かの学びがありました。
親に対して、気づけなかったプラスの面にたくさん気づきました。
自分のこういう面は親のおかげなのだと思えたり、本心から感謝の気持ちを持つことができました。
過去があったからこその気づきやそこから前に進む原動力がわき、むしろ過去があってよかったと思えました。
この「切り離す」という考え方に気づいてから、まだ年数は浅いので、完全にできているとは言えませんが着実に身についてきています。
もしこの考え方をしていなければ、今も人や過去のせいにしたり、ネガティブに考える力が強かったかもしれません。
そしてこの考え方はこの先も、あらゆる状況で生かされるんだろうなと思っています。
あらゆることが受け入れられ、前向きに進むことできる考え方だと思っています。
もし人や過去、物事にとらわれてしんどい状況にいる人がいるのなら、この切り離して考えることが参考になればなと思います(o^^o)
では、読んでいただきありがとうございました♪