こんにちは(^-^)
前に緘黙症時代で嬉しかったことの記事を書きましたが、今回はそのパート2です。
前回の記事にかいたのですが一番嬉しかったことといえば、「普通に関わってくれたこと。」でした!
よければその記事↓
「みんなとは違う」「みんなと同じようにしたい」という気持ちがあったわたしは、「この子は緘黙症だから」という特別視した関わり方をされたくなくて「みんなと同じように関わってほしい」という気持ちが私のベースとしてあったのでしょう。
(だからといって「話す」ことを強要されたくはなかったのですが・・・)
「本当に嬉しかった」としみじみ感じます。
そして本題に戻し、次に嬉しかったことをかきます。
それは、努力を見てくれて褒めてくれたことです。
わたしは小学生のころ、鉄棒のひざかけ後ろ周りをひざの裏が青アザだらけになりながらも練習し、ついには成功したのですが、そんなわたしのことを担任の先生が「青アザだらけになっても出来るまでがんばっていた。がんばり屋だ。」と言って褒めてくれていたのです。
それを聞いて「先生はわたしの努力して頑張っていたことをちゃんと見てくれていたんだ」と思って嬉しい気持ちになりました(#^.^#)
結果を見ることも大切だと思います。
でも結果がどうであれ、それまでのプロセスをみてあげることが必要なことだと思います。
「その子がどれだけがんばっていたか。」
結果に至るまでの頑張りをみてくれていたことで「分かってくれていたんだ」という思いから自尊心が高まり、またその子との信頼関係を築く一歩ではないかと思います。
これは緘黙症だからということじゃなく、きっと誰に対しても言えることでしょうね♪
この記事をかいて、改めてプロセスを見る大切さを学べた気がします。